【この日本には、天才のための教育機関が必要である】

 

今までの学問や社会は、どのように発展してきたのでしょうか?
少し考えてみましょう。

確かに、多くの人の地道な営みが、それらを少しづつ発展させてきたという面も否定できません。
しかし、それだけではありません。
その人にしかできないような、全く新しい形でのブレイクスルーを起こす、言わば天才によって、急激にその業界が変化することも間々あります。
むしろこう言った、ごく少数の人々によって、人類全体に莫大な恩恵、影響が及ぼされているのです。

ここで、日本の学校教育について、眼を向けてみましょう。
日本の学校教育では、たしかに、まんべんなく、無難に仕事をこなす”一般人”を養成することにはたけているのですが、鋭くとがった”何か”をもつ”天才”は、その才能を伸ばしにくいのです。
簡単に言えば、私の思う天才とは、こういう人のことを言います。
天才

天才がその才能を十分に生かしきれないのはまさに、まんべんなく点数を取らないといけない主義、過度のバランス主義の弊害であり、
基本的に同い年が1年ずつ進級するという制度、
偏差値、
センター試験など、あらゆる学校制度の中で、その考え方を普遍的に見出すことができます。

ところで、物理学の根幹をなす相対性理論を構築し、多くの人々に天才と認知され、尊敬されているアインシュタインには、自閉的傾向がありました。
そう、自閉的傾向と天才には、大きな相関があるのです。

アインシュタインは、チューリッヒ工科大学の入試の際、失敗しました。
しかし、数学と物理が最高点だったため、再年度の入学を許可されます。
アインシュタインは得意科目と不得意科目の出来不出来の具合が極端だった、と伝えられていますが、興味が狭い範囲に集中するのは、自閉的傾向の表れの一つでもあります。

もし当時のドイツの教育制度が原因で、アインシュタインが大学に入学出来なかったら、どうなっていたでしょうか。
人類は、最も傑出した頭脳を持つ人々に数えられる偉人のうちの一人を、失っていたかもしれないのです。
彼が社会に絶望し、一市民として、その限りない才能を伸ばすことなく一生を終えてしまったかもしれないのです。

そしてこれが、今日本で起きている。これが現状なのです。

これからの日本は、ノーベル賞がとれるかどうかわからない、と言われることがありますが、逆に言えば、この教育制度の現状で、ここまでノーベル賞受賞者を輩出してきた日本ですから、相当なポテンシャルを持つ国であるという見方もできます。

このような考察から、私は、この日本に、天才のための教育機関が必要であり、もしそれが実現すれば、彼らの力は想像以上の大変革をもたらすと、確信しています。

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